トイ・ストーリー Anotherside 1 [昔話]

何になりたいですか


私はその質問に対し、36年間の人生で以下の答えを持っていた。


1)マンガ家


2)おもちゃ屋


3)先生


4)父親



4番の父親は別として、小さい頃から抱えていた将来の夢はことごとく叶っていない。私の意思の弱さを露呈する部分でもあるし、何となく生きてた感は否めない。


「マンガ家なんて食える訳がない」

「大卒でおもちゃ屋はないだろう」

教育学部の不合格


親からの言葉や人生の壁にぶつかり、志半ばって言うか、ろくに努力もせずに諦めてきた将来の夢達。今回は「おもちゃ屋」についてのお話。私のトイ・ストーリーを少し話そうと思う。



おもちゃ屋での最初のエピソードは30年前に遡る。

小学1年生の私はポケットの中のお金を握り締めながら、近所のおもちゃ屋へ向かいダッシュしていた。おもちゃのロボは私の学区にあった小さな商店街の小さなおもちゃ屋。私は息を切らしながらロボに到着。背丈よりはるかに高いおもちゃの壁に囲まれて、とてもドキドキしたことを今でも思いだす。


私はおもちゃを物色し始めた。

おこずかいを貯めて大金を持ってきたつもりだったが、実際の所持金はたった170だった。


一回のおこずかいが100円で、おばあちゃんにお手伝いのご褒美として貰った70円。合計170円で、私はおもちゃが買えると思っていたのだ。

きっと私は小1の頃からおバカだったのだろう。何も買えるはずがない。


当然の様におもちゃの壁の中で値札が170円以下の物は存在しなかった。私は必死に探し回る。店内をぐるぐるまわり、「170円もあるんだから大丈夫だ」と強く念じながら探した。そんな時1つのソフビ人形が目に止まった。背伸びして棚から取る。値札は980円前後だったと記憶している。


やっぱりダメだな・・・。


そう思いながらそのソフビを戻そうとした時だった。



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トイ・ストーリー Anotherside 2 [昔話]

メガロマン.jpg

メガロマンのソフトビニール人形


何か探してるのか


カウンターから初老の男性店主が声をかけてきた。店番をしていた彼は白髪まじりの坊主頭。一見イカツく、緊張感を覚えた。特に悪い事をしていないのに叱られそうな気分だった。


「・・・・。」


私は答えられずに、メガロマンのソフビを持ったまま固まってしまう。


それが欲しいのか


所持金が全然足りなかった私は、ビビリながらとりあえず頭を縦に降った。


どれ、見せてみな

おじさんは私からメガロマンを受け取る。メガネを少し下げながら値段を確認していた。そして下がったメガネの先から私をのぞき込む。

私は少し後ずさり・・・。


お金いくら持ってるんだ


「170円です。」


私はそう答えた。メガロマンは980円。5倍以上のお金がないと買えない代物だった。

それを聞いたおじさんは満面の笑を浮かべて

これ170円だから買ってくか


「うん!」


私は嬉しかった。バカの小1でも極端な値引きをしてもらっていることぐらい分かった。おじさんの問いかけに満面の笑で応えた。


こんなおもちゃ屋になりたいな・・・。

私がおもちゃ屋さんに初めてなりたいと思った瞬間だった。


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トイ・ストーリー Anotherside 3 [昔話]

私の最寄駅はJR藤枝駅だった。

その駅北。アーケードの商店街が道の左右に並ぶ、通称れんが通り。

そこに2件のおもちゃ屋があった。


おもちゃのMとBとしておこう。

ちなみにMが駅寄り。Bが200m程奥に隣接していた。当時の私は小学校中学年。自転車を乗り回すようになり、しょっちゅうこのれんが通りや、駅近辺に出没。暇さえあれば、大好きなおもちゃ屋や古本屋に入り浸っていた。


2件のおもちゃ屋の勢力としては、Mは賑わっていて、Bはいつも閑古鳥が鳴いている状態。私個人的には、賑わうMより静かなB派だった。ただ、ほとんどが冷かしであって、売上に貢献した訳ではない。ただただ、お店にいただけのウザいガキだった。

それでもベレー帽をかぶったメガネの優しい店主は嫌な顔ひとつせずに、私の相手をしてくれた。


そんなある日の事

私は毎度のようにMを覗いた後、Bに行った。その時はファミコンのサッカーというソフトが発売されたばかりで、どこのお店も品切れ状態。そんな中、2人の中学生位の少年がBに飛び込んできた。


開口一番「サッカーのソフトありますか?」

彼らは方々歩き回った挙句、見たこともなかったBを見つけて飛び込んできたのだろう。半分は諦めた表情を浮かべていた。あるはずがない。先ほど隣のMでも「売り切れ・予約受付」となっていたのだ。




あるよ




おじさんはにっこりと笑った。


「本当ですか!?やった~!!」


2人はジャンプして喜んでいた。それを眺めるおじさんもとっても嬉しそうだった。私も関係ないのに嬉しくなった。Bの良さをこの2人も分かってくれたことだろうと、まったく関係ないくせに、上から目線で思った事を今でも覚えている。


ただ、裏を返せば、それだけBの営業状況は厳しかったのだろう。

それは徐々に私にも分かってくる事実だった。


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トイ・ストーリー Anotherside 4 [昔話]

私には8歳年の離れた弟がいる。

母親に言わせるとよくイジめていたそうだが、私にその記憶はない。むしろ、弟に服やおもちゃをプレゼントすることがマイブームになっていた時期もあったほどだ。


私はある日1000円程度で弟にプレゼントを買おうと決めた。

自転車で駅周辺のおもちゃ屋D、I、Mと周り最後にBへいった。Bまでの3件で良いおもちゃが見つからなかった事もあったが、「今日はBで買い物をする」と最初から決めていたところもあった。



と言っても軍資金は1,000円。買えるものには限界がある。

私は以前もプレゼントしたトミカ(パワーショベル系が弟の好みだった)を買うつもりだった。値段も手頃だし、弟も喜ぶだろうと。
しかし、良いトミカがなかなか見つからない。どうしようかと悩んでいると、カウンターからベレー帽おじさんがやってきた。


何かさがしてるのかな


おじさんはあくまで優しい。私は首を縦にふり「弟におもちゃを買う」と付け加えた。


そうなんだね。弟は何歳なの


ベレー帽おじさんの優しい質問は続いた。

そんなやりとりの中で、おもちゃについての様々な知識を教えてくれた。



おじさんは一つの超合金を箱から取り出し私の手に乗せた。



その5へ



トイ・ストーリー Anotherside 5 [昔話]

手に超合金をのせおじさんは聞いてきた。


どう思う


私は素直に、「軽い感じがします。」と答えた。


そうなんだ。パッケージには超合金と記され、値段も高いけど、超合金が使用されているのはほんの一部だけなんだよ。騙されちゃダメなんだ。。。。。etc。。。。。。。。



ベレー帽おじさんは、自分の取り扱う商品のダメなところまで惜しみ隠さず話してくれた。私は何も知らない小学生。目からウロコ的な話で引き寄せられたのを覚えている。

一通りの話を聞いた後、私は本来の目的を思い出した。「色々な話もしてくれたし、絶対おもちゃを買わなくちゃ・・・」


私はレジ横にある800円程度(恐らく・・・)に特別値引きされた商品を指さしてベレー帽おじさんに言った。

「あの安くなってる奴にします。」


その商品名などは記憶にない為ネット検索。恐らくコイツだと思う。当時でもかなりのお値打ち商品だったと思われる。
とても1000円以下で買ったモノには見えず、弟も喜ぶことだろう。私はBでおもちゃを買えることや、お値打ち品を見つけたことですごくテンションが上がっていた。



asc00318.jpg

黄色い方。ライオンに変形


しかしベレー帽おじさんはとっても悲しい表情を浮かべた。



その6へ

トイ・ストーリー Anotherside 6 [昔話]

ベレー帽おじさんは静かに言った。


さっきも話したけど、コレ一つ買っても意味がないんだ合体する全てがあってこそのおもちゃなんだよ離れ離れにしたらおもちゃも悲しむと思うんだ


確かにそうかもしれないと幼い私も思った。

しかし、買うのはこっちだし、お金に余裕がある訳ではない。


「いいですこれで。」


私はベレー帽おじさんの悲しそうな表情に対し「買ってやるんだぞ」といった反骨的な態度で答えていた。今思えば、素直に聞き入れておけば良かったと思う。



それからベレー帽おじさんは何も話さなかった。慣れた手つきできれいにラッピングを施し、私に商品を渡してくれた。表向きは普通の売買だったが、とても冷たい感じがした。


*******************


それからBに寄ってもベレー帽おじさんと話す機会はなかった。



私の学年が上がるのに反比例し、おもちゃ屋へ行く機会は極端に減っていった。たまにBの前を通りすぎる事はあったが、レジには少し障害をかんじさせるおじさん(恐らくベレー帽おじさんの息子さん)が頭を掻いて座っているだけ。ベレー帽おじさんの姿を見かけなくなっていた。


さらに言えばバブルも崩壊。商店街自体が活気を失って行った。


最終話へ

トイ・ストーリー Anotherside 最終話 [昔話]

おもちゃ屋Bの存在は私の中でどんどん薄れていった。

決してBだけという訳ではなかった。おもちゃ屋自体にといった方が正しいと言える。別件で通り過ぎることはあっても、B目的で行くことは無くなっていた。


実際、私が中学生になった頃にはBのシャッターは基本閉まっていた。

「閉店したんだ」

そんな淋しい気持ちになった。

時代の流れか。動線も駅から郊外へ。当たり前のように小さな商店街はシャッター商店街になっていった。


そんなある日、ある新聞記事に目が止まる。


親子で無理心中か

藤枝市○○、おもちゃ屋件住居で親子と見られる死たいが親族によって発見された。二階の住居スペースで首をつった状態で見つかったという

二人はこの家に住む親子で、父親の○○さんが病気がちだった事、息子の●●さんに軽度の知能障害があったこと、生活に困窮していたことなどが原因とみられている。。。。


間違いなくBの事だった。

胸が締め付けられる思い。おもちゃ屋って「単に楽しいところで羨ましい職業」にしか思えなかった私にとって強烈なカルチャーショックだった。

さらには自分と同じ空間を共にした人が亡くなることもショックだった。

ただただ記事を眺め、何も言えなかった。



*****************



大学の就活まで話は進む。

私はおもちゃ屋を心のどこかで希望していた。親にも「おもちゃ屋に入ろうかな?」と冗談半分風にお伺いを立てた。結果、最初に言ったように拒否られた。


「大学出てまでおもちゃ屋はないだろう」


ある意味自分自身、親の言葉に救われた気持ちになった。賛成されたところで、おもちゃ屋は選択していなかったと思う。覚悟がなかったのだ。


「そうだよね。おもちゃ屋だもんね。ならない、ならない!」

私は自分に嘘を、いや本当の事を・・・言い聞かせるように言った。


おもちゃ屋Bのベレー帽おじさんの存在があったからこそ、安易に選択できなかった職業だったと思う。生半可な気持ちでおもちゃ屋になってたら、ベレー帽おじさんに叱られていたとも思う。今思えばならなくて良かった。なったらベレー帽おじさんに失礼だ。



きっと天国でもベレー帽おじさんは小さなおもちゃ屋を開いているはずだ。


おわり



丸坊主イエスタディ① ~Tくんの思い出~ [昔話]

小中学校時代の9年間、私は丸坊主だった。

『丸坊主イエスタデイ』は当時の記憶をたどったノンフィクションシリーズだ。


T君とは幼稚園から中学校までの12年間一緒だった。卒園アルバムにT君と楽しそうに七夕飾りをしている写真があり、当時から彼との絡みがあったことを推測できる。ちなみにこの時、私の短冊には『およぐように』と記されていた。お願いであることを理解していなかったのか、とにかく意味不明である。そんな訳の分からない頃からの友達だった。


T君とはサッカー少年団でも一緒だった。

試合開始前の円陣。皆で声を掛け合う。「がんばろうぜ!」「おう!」 「ファイト!」 「おう!」といった具合に一人の掛け声に対し、皆が応える試合前の大切な精神集中の時間。T君は「昨日、あんみつ姫(土曜6時から放映されていた時代劇アニメ)見たか!?」 などと声をかけ皆を笑わせていた。不謹慎ではあったが試合前の緊張をほぐすにはありがたかった。そんなひょうきんな彼の別の一面を垣間見る出来事があった。それは小6の頃の話だ。


小学生、それは恐ろしい生き物。それは自分より劣るものや、人と異なる欠点を有するものを遠慮なく攻撃し、笑いの種やストレス発散にしてしまう。ある朝もそんな事件が当たり前のように繰り返されていた。

足の手術を施し、ようやく歩くことのできるようになった女子がグラウンドを走っている。皆から遅れを取りながらも足を引き摺りながら懸命に走る姿は、小学生たちの格好のターゲットとなっていた。窓から彼女を指差し、「気持ちわりい!!」などと聞こえるように叫んだり、走り方をまねてふざけてみたり・・・。人の気持ちを踏みにじる最低な行為だが、誰も止めるものはいなかった。私もその輪に加わって笑っていた記憶があるのだから最低だ。その時だった。


かわいそうだろ!やめろっ!! 」


T君だった。へたに女子をかばえば「おまえ、あいつのことが好きなんじゃね~の?」と逆に攻撃されかねない年頃。彼の発した一言はクラスに衝撃を与えるには十分すぎるインパクトがあった。

私たちはからかうのを止め、無言で立ち尽くした。こんな状況で私たちを注意したT君。今思い出すと、本当にかっこ良かったと思う。男の強さは優しさだと同級生に教わった瞬間だった。

その日の夕方。少年団の練習に来ていたT君はいつものT君だった。練習前にうまい棒を食べ過ぎてゲロを吐いている姿はかっこ悪かったが、朝の一件と相殺してプラマイ0だった。


T君と最後にあったのは高校時代。ヘンテコパーマをかけ、袴の様なものすごい太い学生ズボン(いわゆるドカン)を履きながら自転車をこいでいた彼とすれ違ったのが最後だ。元気かなあ。ふと思い出してブログにしてしまったことを酒を飲みながら謝りたいものだ。きっと笑顔でゆるしてくれるはずだ。

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丸坊主イエスタデイ② ~悲しい地獄突き~ 1/2 [昔話]

皆さんはアブドーラ・ザ・ブッチャー(以下ブッチャーと略)をご存知だろうか。ブッチャーはプロレス全盛期に活躍した外人レスラーだ。所謂、悪役レスラーであり、とんがりブーツを履きフォークを持って反則を繰り返していた。風貌としては黒人で肥満体系、スキンヘッドの額には縦に傷跡が何本も走っていた。彼の試合は大概血まみれ系の試合となる、とても恐ろしいレスラーだった。

今回の話はそんなブッチャーの必殺技『地獄突き』に関連した話だ。


私が中学二年の時、流行っていた遊びがある。それは「罰ゲーム」だ。

4~5人でじゃんけんをし、負けた人が事前に考えられた罰を行うという至ってシンプルで残酷なゲームだ。私もこのゲームが流行っている時に何度か罰ゲームを行った。内容としては「隣のクラスに行って大声を出す」「授業中にウンコ出る!と言って教室を飛び出す」など非常に低脳なものだった。悪ふざけで済むものだった。


私は2学期の席替えでB子さんの隣の席になった。

B子さんは決して可愛い方ではなかったが、愛想もよく感じのいい子だった。私とB子さんは最初こそよそよそしかったものの徐々に打ち解け、必要以上の会話を交わすようになっていた。マンガなどで意気投合し、コミックスを貸し借りしたこともある。私自身、恋心を抱くまでには行かなかったが、中二の男女としては友達以上の関係だったと言っても過言ではないだろう。

とっても快活であり、予想以上におしゃべりが好きだったB子さんだったが、ただひとつ気になることがあった。B子さんは例のブッチャーに似ていたのだ。


男子間での彼女の闇渾名はもちろん『ブッチャー』だった。

あくまでも闇渾名であるから、誰も直接ブッチャーなどと声をかけることもない。B子さんは苗字で呼ばれていたし、私もそう呼んでいた。彼女自身、うっすらと渾名に気づいていたのかも知れないが、それを彼女に知らしめる事件が起こる。

それが罰ゲーム『ブッチャーにブッチャー(地獄突き)』だった。


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丸坊主イエスタデイ② ~悲しい地獄突き~ 2/2 [昔話]

B子さんに「ブッチャー!」と奇声を発しながら地獄突きをするという罰ゲームをかけて、じゃんけん勝負は始まった。

「じゃんけんぽんっ」今回だけは負けたくない。隣の席ということもあったし、仲良くしていた私にとっては絶対食らってはいけない罰ゲームだ。そう強く念じながら恐る恐る手を振る。


結果は皆さんのご想像通り私の負けだった。


「これだけは勘弁してください!!」

私は懇願した。   しかし鉄の掟を覆すことは出来なかった。


私は静かにB子さんの前に立つ。そしてB子さんの喉元めがけて手刀を切った。「ぶっちゃ~」


B子さんが悲しげな瞳で私を見ている。何も言わない。

「ごめんなさい。」

そう言って私は彼女から逃げるように離れ、皆の元へ向かう。結果報告した私に、見ていた彼らから「声が小さくて聞こえないからやり直せ!」とのクレームが出た。心に引っかかりがあり、アクションや声が小さく、彼らの期待にそぐわなかった訳だ。結果として私が中途半端であるために『ブッチャーにブッチャー』は計5回行われた。その度にB子さんは悲しい表情で応えた。


最後の5回目に見かねた彼女の友人が「もうやめなよ!!」と私を睨みつけてきた。当然のことだった。「罰ゲームだからしかたね~んだよ!!」私は吐き捨てるように言ったが、むしろ私の感情をぶつける相手が出来たことでほっとしていたのかも知れない。私はB子さんに怒って欲しかったのだ。こんな悪いことをする人間を非難して欲しかったのだ。しかしB子さんは悲しい瞳で最後まで私を見ていた。ただなすがままにブッチャーをされ続けた。




今にして思えばいじめにも通じる最低な行いだった。

B子さんの心を踏みにじることで私は彼女の悲しい瞳から自分のおろかさを教わった。逆上されたりしていたらこの事にも気がつかなかったかも知れない。申し訳なかった。でもありがとう。


それ以来、私は罰ゲーム遊びから足を洗った。


おわり



タグ:いじめ
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